政治は最高の道徳

 第二次安倍内閣発足依頼、政権は「一強多弱」を乱用し、隠蔽や改竄を繰り返し、挙句には業界を恫喝し自治体への丸投げという始末だ。この状況を私は「政治の驕りと官僚の劣化」と云ってきたが、先日の読売では「政治の劣化と委縮する官僚」と評されていた。省庁再編に伴う人事権掌握による「官邸一強」だという主張だが、適切な分析と云える。

 政治はいつから劣化してしまったのか。かつても政治献金にまつわる事件や疑獄が繰り返され議員辞職が繰り返されてきた。1970年初頭の「三角大福中」戦争は権力闘争の象徴だった、私は未だ20代だったが強く印象に残っている。そんな中で今見直されているのが福田赳夫だ。「政策には強いが、政争(政局)には弱い」といわれたが、注目は大蔵官僚出身経済財政通というイメージだが、金権政治の打破をはじめ政策に見られる見事な一貫性である。『政治の役割とは社会格差を是正することである』との信念を貫いた。福田の信条は浜口雄幸のことば「政治は最高の道徳である」である。肝に銘ずべき名言である。

 安倍首相が答弁でよく「政治は結果がすべて」といっていたが、私はこれは間違いというより“誤魔化し”だと思う。結果がすべてといえるのはスポーツくらいだが、そのスポーツでも日々の練習の賜である。「結果がすべて」ということによってプロセスを“すっ飛ばして”しまう、経過を説明しないということを容認してしまうことになりかねないのだ。(コメンティターも留意してほしい)政治はプロセス責任も問われなければならない。

<[24]松ケ平政策発表、[28]旱魃調査(多寄・川西)、土曜街宣、[29]旱魃調査(西神楽)、[資料]世調(8/29毎日)、最賃(8/14朝日)、省庁再編(8/15読売)>