戦争の77年、平和の77年

 今年も終戦の日を迎えた、明治元年は1868年、日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・第二次世界大戦(太平洋戦争/犠牲者役310万人)と77年間“戦争”を繰り返してきた。1945年の終戦から今日までの77年間日本は“平和”を維持してきた

 しかしその代償は広島・長崎の“原爆被爆”をはじめ“沖縄本土決戦”(約19万人)、親父もそうであるが“シベリア抑留”日本全土に及ぶ“空襲被害”(50万人に及ぶ)と戦没者のみならず数知れないほどの犠牲をもたらしました。“救済”はまだまだマダラと云わざるを得ない。終戦から77年を迎えた今年プーチンのウクライナ侵攻があり、戦争を知らない世代も戦争を目の当たりにすることとなった「平和記念式典」で広島松井市長は『一刻も早く全ての核のボタンを無用のものしなければならない』と宣言し、長崎田上市長は『核兵器を持っていても使われないだろう、というのは幻想』と述べた。特に湯崎広島県知事の『東欧では侵略戦争が勃発し、あまつさえその侵略国は、核兵器の使用も辞さないとあからさまな脅しを世界にかけるばかりか、当事者でない国の人々さえ、身を守るためには核兵器が必要だ、と言い始めている』との提言に国会議員は肝に銘ずるべきだ。これに対して首相は『厳しい安全保障環境という現実を、核兵器のない世界へという理想に結び付ける努力を行ってまいります』と挨拶するに止まっている。

 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長は『広島長崎を最後に核が実戦使用されていないのは“幸運だっただけで”永遠には続かない』と警鐘を鳴らす。高校生平和大使の『微力だけど 無力じゃない』のことばに耳を傾けるべきだ。戦争体験者は80歳代後半以上、殆どの人が戦争を知らない、自分の家族・親族が犠牲になった方々の身になって考えよう!“抑止力”には際限がない、戦争は偶発的衝突から始まる。終戦の日に我が事として“戦争”の悲惨さを考えよう!「ゲルニカ」に学ぼう!

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