北方領土返還!

2月7日は「北方領土の日」1855年(安政元年)に「日露通交条約」 (伊豆・下田)を結んで択捉島とウルップ島の間に国境線を引き四島は日本領土と確定したことに基づくものである。以後91年「日ソ共同声明」93年「東京宣言」97年「クラスノヤルスク合意」98年「川奈合意」01年「イルクーツク宣言」03年「日露行動計画」と続いてきたのである。

総理は『必ず終止符を打つ』と前のめりだが、交渉に影響があるとして、これまで明言してきた「固有の領土」「不法占拠」という言葉を封印している。四島返還を求める原則を曖昧にしたままでは本当の解決にはならない。第二次世界大戦後の51年「サンフランシスコ講和条約」で日本は千島列島を放棄した。しかしその千島列島に北方四島は含まれていない。この条約について、吉田内閣時代は四島が含まれるとの見解、次の鳩山内閣では含まれないとの見解だが、当時日本の国連加盟やシベリヤ抑留者送還でソ連の協力を得るため、歯舞・色丹の二島で妥協したのが56年共同宣言だ。そもそも講和条約に旧ソ連は調印していない。

「新しいアプローチ」と称して、国後・択捉で進んでいる「共同経済活動」も主権を棚上げにしている。更に自由往来を可能にする「二島返還プラスアルファ」等々、方針転換への懸念は拭えない。一連の宣言や合意は長年積み上げてきた国民(島民)の願いであり、歴史であることを忘れてはならない

<[6]4者出馬要請、[4]全上川農連、[5]道連常幹、[7]北方領土全国大会、[8]7者協議、[9]道北党員協、旭川退職者連合、士別BLパートナーズ集会、[10]6区市民の会、[11]立憲全国代表者会議、>